
漫才について語る時、おもしろさ、技術、声の通り具合などを考え、選ぶとなると
このコンビでしょう、と思うのが「博多華丸・大吉」ではないでしょうか・・。
とにかく上手くて面白いんです。芸達者なんですね。
そんな「博多華丸・大吉」ですが売れない時期もありました。
ここではコンビ結成当時からの二人を振り返ってみました。
目次
博多華丸・大吉のプロフィールは?
博多 華丸(はかた はなまる)

本名:岡崎 光輝 (おかざき みつてる 54歳)
ボケ担当、立ち位置は向かって左。
福岡県福岡市出身。
博多 大吉(はかた だいきち)

本名:吉岡 廣憲(よしおか ひろのり 53歳)
ツッコミ・ネタ作り担当、立ち位置は向かって右。
兵庫県神戸市生まれ、
福岡県古賀市出身。
デビューから
ふたりは1998年に福岡大学の落語研究会で出会い、仲良くなりました。
大学入学時に2人ともお笑いをやっているサークルに入ろうと探したところ落語研究会しかなく、そこへ所属したことで出会ったのだそうです。
地元のタウン誌にサークル活動が掲載されたところ、プロダクションから2人に「ヨッチャン・オカチャン」というコンビ名で、東京でやらないかと誘われたことがありました。
その社長と言うのが見るからに怪しそうだったので二人は何とか断ろうとしたそうです。
あとでわかったことですが、その会社は大手のプロダクションでした。
その時に断る理由として「「すいません。僕たちは吉本所属を目指したいんです」と言ったことにこだわり、、吉本所属を目指すための必死さをアピールせざるを得ない状況に追い詰められたといっています。
吉本興業福岡事務所創設初となるオーディション番組『激辛!?お笑いめんたい子』(テレビ西日本、1990年4月29日放送)に、「岡崎君と吉岡君」の名で漫才コンビとして出場しました。
決勝メンバー2位までが合格だったのですが残念ながら8組中4位で不合格だったのです。
ところが幸いなことに事務所立上げに関し人手が足りないという理由で、福岡吉本から声がかかり、2人とも大学を中退して同年5月に福岡吉本1期生となったのでした。
名前も「岡崎君と吉岡君」ではなく芸名でと言うことで「華丸・大吉」と決まりました。
デビュー後は7文字で、めでたい名前にしようということで「華丸・大吉」から「鶴屋華丸・亀屋大吉」に改名されました。
今思えば変な名前ですよね。鶴亀なんて?
プロダクションの意向で、初めはオーデション1位だった「ター坊ケン坊」の
ター坊としてデビューした竹山と華丸がメインで売り出され、大吉はフロアディレクターとして出たり、引っ込んだりする役でした。
その後竹山が「福岡より東京だ」と福岡吉本を辞めたことで漸く大吉にも出番が回ってくるようになりました。
華丸は福岡吉本の看板芸人として、大吉はMCとしてローカル番組に出演し続けようやく人気がでてきます。
当時のレギュラー番組
『夜はとことん』
『とことんサンデー』
ナインティナインらとの共演を果たす。
『華丸・大吉の鉄腕ももち』(テレビ西日本)
『今夜も大勉強!』(RKB毎日放送)

大吉1年間謹慎処分とは
1997年、テレビ西日本が福岡吉本の了承を得ないまま大吉を1年間アメリカに留学させ、随時『とことんサンデー』でその模様を追いかける企画を番組上で発表したことで、福岡吉本とテレビ西日本が衝突し、大吉が干されたのでした。
1年の自宅待機が明けてからは
1999年に福岡吉本の自前劇場「吉本111劇場」がオープンすると
大阪吉本の芸人が福岡のテレビ番組や劇場に出演し始めたため
それまでのファンが
鶴屋華丸・亀屋大吉のネタに興味を示さなくなります。
最初で最後のM-1出場
既に結成11年だったため出場資格はありませんでしたが吉本興業側から出場要請を受けたことと
「改名すれば、芸歴は1年目にリセットされるので出場できる」と言われて「華丸マル・大吉」名義で出場したのでした。
ところが準決勝まで進んだところで
直前に主催者側から「10年を超えているのはやはり駄目」と実質失格扱いとなってしまったのです。
その後は結成10年を超えていたため次年度以降は出場できず、残念なことに
最初で最後のM-1になってしまいました。
いつも思うのですが、漫才に年齢や結成年数なんて関係あるのでしょうか?
ファンは本当に面白い漫才が見たいのであって、出場制限で出れない面白いコンビを除外しておいた枠の中での優勝なんてありえないのでは・・・。
東京進出
2004年4月、屋号を博多に変更し現在の芸名へ改名することを決めます。
きっかけが面白いんです。
2004年に姓名判断に詳しかった女性パート職員が退職する際に「ずっと気になっていた。お願いだから改名して欲しい」と言われ「鶴屋華丸・亀屋大吉」から現在の「博多華丸・大吉」に改名します。
なんでもその女性によると、今までつけていた「鶴屋」と「亀屋」は運気的に最低だったらしいのです。
さらに「博多に変えて2年以内に二人が東に向かうと運気が上がる」と助言を受けたのです。
東京での低迷時期
博多華丸・大吉は東京の吉本に移籍をしましたがテレビ局や制作会社には新人と見なされてギャラが福岡の時より大幅に少なかったようです。
また、35歳になってから上京したので、その当時の需要が若手嗜好にあったため
なかなかオーデションを通りませんでした。
「面白いんだけどそれが伝わりづらい」とか
10歳以上年下の審査員から「痛々しい」と言われたりするなど
「博多華丸・大吉」にとっては屈辱的でさえもありました。
かって、福岡時代に「東京に出てきたら」と言ってくれていた人々の態度も一変し、「本当に来たの?」「福岡に居ればいいのに」と感じられる二人でした。
それでも彼らはめげずに頑張ります。
劇場を中心に活動をはじめながら、華丸が『とんねるずのみなさんのおかげでした』の、「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」に出場すると、児玉清のモノマネで優勝したのです。
一気に知名度を上げました。
THE MANZAI 出場
2011年、コンクール形式としては第1回となる『THE MANZAI』に出場するも
後輩パンクブーブーに敗れる。
2014年、再び『THE MANZAI』に出場。
アキナ、トレンディエンジェルを相手に優勝。
2018年4月2日より、有働由美子・井ノ原快彦の後任として『あさイチ』(NHK総合)の2代目キャスターに就任。
新しい「NHKの朝の顔」となりました。


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