パンクブーブー結成からM-1とTHE MANZAI優勝の2冠奪取まで、近況は?

M-1で優勝し、THE MANZAIでも優勝をしたパンクブーブー
ですがテレビでは見かけません。なにがあったのでしょう?

先にパンヌブーブー二人のプロフィールを紹介しておきます。

佐藤 哲夫(さとう てつお 48歳)
大分県立大分豊府高等学校卒業。九州産業大学商学部中退。
ボケ・ネタ作り担当、立ち位置は向かって左。

黒瀬 純(くろせ じゅん 49歳)
東福岡高等学校
ツッコミ担当、立ち位置は向かって右。

元暴走族の副総長をやっていた。

吉本興業東京本社所属

出会いと名前の由来は?

二人は福岡吉本にいたとき
佐藤はモンスターズ、黒瀬はバレッタというコンビを組んで活動していました。
初対面は黒瀬を含む福岡吉本8期生の歓迎会でしたが、しばらくは接点もなく過ぎていったのですが、ともにパチンコ好きだったことから
コンバット満がMCの深夜パチンコ番組のレギュラーへ抜擢されたのが、きっかけで親交を深めるようになります。
それからしばらくして、それぞれのコンビが解散することになると
上京を考えていた2人は自然と行動を共にするようになります。

ボケとツッコミだったことから2001年4月に現在のコンビを結成します。

コンビ名「パンク」「ブーブー」の由来はそれぞれの解散してしまったコンビを車に例え、「車がパンクしてもくっついて力を合わせればまだ走れるという意味からでした。

東京進出後は?

「事務所の許可なしに芸人自身の判断で東京の事務所へ移籍することは認めない」という掟のようなものがあり、
上京したい芸人は吉本を辞め、東京の芸能事務所のオーディションを受けて入り直さなければなりませんでした。
二人は福岡吉本をやめて上京し、東京中の芸能事務所のオーディションに参加していましたが当時、福岡吉本は「アマチュア集団」「吉本のバッタモノ」など散々な目で見られていたのです。
2人は非常に肩身の狭い思いをしたといいます。
のちに東京へ転勤になった福岡吉本所長から謝罪され、
「吉本の新しい劇場(ルミネtheよしもと)がもうすぐ完成するから、もう一度吉本に来てくれ」と頼まれます。
やっぱりパンクブーブーの実力を所長が認めていたからなんですね。
ルミネtheよしもとは2001年に完成しますが
それ以来ずっとパンクブーブーは出演を続けているといいます。
結成から2年後の2003年、『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)に初出演し番組記録タイとなる高得点をマークします。
その後も同番組へ出演し続け、知名度とともに実力者として同番組を支える1組となったのでした。

M-1グランプリ優勝
2009年にM-1グランプリで優勝します。
ファイナルでは審査員7人全員から票を得ての堂々たる優勝でした。
2010年、M-1グランプリ2連覇を狙うべく出場しますが惜しくも3位に終わります。
その後2011年、『M-1グランプリ』の後継番組となる日清食品 THE MANZAI 2011
にも優勝しますが、2冠達成はパンクブーブーだけです。

最近パンクブーブーを見なくなったのはなぜ?

実はダウンタウンの松本人志が後輩芸人へアテンドを依頼していたという話で
週刊文春にパンクブーブーの黒瀬も、たむけんと同じことをしていたとの記事
が掲載されたことが原因で、出演を見合わせているのだとか。
相方の佐藤は仕方なくピンでユーチューブなどに出ています。
お得意の「ガンプラ」が役に立っているようです。

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