荒汐部屋の歴史、過去の八百長疑惑?親方、所属力士、猫、場所の紹介

ウイキペディアより

時津風一門の荒汐部屋を紹介します。

荒汐部屋の歴史

年寄名跡 歴代の荒汐

初代 荒汐仁太夫 (幕下十九枚目)
2代 小天竜与三郎 (前頭四枚目)
3代 谷ノ川安吉  (前頭二枚目)
4代 殿り卯三郎  (十両二枚目)
5代 豊ノ花光義  (十両五枚目)
6代 若獅子茂憲  (小結) 借株
7代 大豊昌央   (小結)1987年1月-2020年3月(退職)

時津風部屋の部屋付き親方でしたが
時津風部屋から内弟子1名を連れ分家独立して荒汐部屋を創設、
モンゴル自治区から蒼国来をスカウトしました。

7代荒汐が本来の弟子候補を視察しに現地の大学へ行き体格の良い、大きい人にばかりアタックしましたが、みな断られたようです。
そのときには蒼国来のことは目にも留まらなかったそうです。

細かった蒼国来が直談判して入門をゆるされたのでした。股割りなどのテストに合格したので、しぶしぶOKしたようですね。

その時はまだ弟子は一人しかいなかったのですが、7代親方のおかみさんがwebの知識があったのでホームページに部屋の飾らない日常を発信したことが話題になりたくさんの入門志願者があったようです。

当時はインターネットが普及し始めたころ(あのウインドウズXPが2001年から)です。
女将さんはすごいひとですね。

そのことは相撲協会でも話題になったようです。

8代 蒼国来栄吉  (前頭二枚目) 7代荒汐の定年退職により部屋を継承(蒼国来は2019年
9月に日本国籍を取得)

蒼国来は現役(幕内)の時にあらぬ八百長疑惑をかけられ、2年近くもの長い間、裁判闘争をしていました。その後裁判に勝訴して現役復帰がかないました。

 

過去の八百長疑惑

この問題が改めて表面化した時期は2011年2月2日。2010年7月に野球賭博問題での捜査で警視庁が押収した力士の携帯電話中のデータ(消去されていた電子メールも復元)を調べていたが、その過程で13人の名前が発覚した。これを受けて相撲協会はそのうち12人から事情を聴取したが、この日はいずれの力士も関与を否定している。この日会見した放駒理事長は「(八百長は)過去には一切なかった問題で、新たに出た問題」とし、「協会存亡の危機である」とも述べこの問題について謝罪した。同日、賭博問題で逮捕された力士が相撲についても賭けの対象にしていた、と証言したことが明らかになっているが、今回疑惑となった八百長の取組は賭けていないとしている。
翌日2月3日の衆議院予算委員会で高木義明文部科学大臣は相撲協会から「3人が八百長を認めた」報告があったことを明らかにした。また同日一部の力士が八百長を認めたことが報道されている

この問題を受け放駒理事長は問題が集結するまで本場所の開催は好ましくないとの判断で春場所の中止を決定しました。決定後、特別調査委員会は幕内(十両以上)の関取全員を対象にした聞き取り調査を開始しましたが、新たな八百長関与の事実は出てきませんでした。

2月14日の臨時理事会において特別調査委員会から中間報告を受け、メールで名前が挙がった14名の調査を継続することになりました。

4月1日、関与したと確認出来た者に対する処分が決定、発表されましたが、除名や解雇等の厳罰でなくこれまでの協会の責任もあったとして引退勧告としています。引退勧告を受けた力士の中にはこの時点でも関与を認めておらず、関与を認めた他の力士の証言などで決められたことなどに対し、不服としていました。

4月5日、引退届の提出期限でしたがが、相撲協会はこの日までに19力士が提出したことを公表。

この時点で2名(蒼国来と星風)は引退勧告に従わず退職届を提出しませんでした。
協会は退職手当を満額出すなどと言っていましたが提出はなく、

そのため協会はこの2名を解雇処分としたのでした。

4月22日、蒼国来と星風は相撲協会に対し不当解雇に対する幕内力士としての地位保全及び給与支払い仮処分を東京地裁に申請し裁判になりました。

その結果、取り組み内容が調べられ星風の訴えは無気力相撲と判断され却下されましたが

蒼国来の相撲は無気力ではないとされ無罪が認められたのです。

そして蒼国来は2年もの長い間裁判で戦ったかいあり、幕内に復帰できたのでした。

その間は日野自動車のラグビー部がトレーニングをさせてくれたり、妻のトンガラさんが収入面で支えてくれたりしたのです。

また、荒汐親方が彼の無実を信じて応援してくれたのも大きかったと思います。

2年後に復帰した際に横綱自ら稽古をつけた時の白鵬のコメントがあります。

ウェブ スポルティーバより

蒼国来とは、4月下旬の力士会の場で2年ぶりに顔を合わせました。さまざまな思いを秘め、私のところに挨拶に来てくれた彼の姿を見て、率直に「この2年間、よく耐えたなぁ」と感心させられました。何人かの力士がこの事件を機に角界を去り、私も心を痛めましたが、ほとんど例のない「解雇からの復帰」を一心に信じていた蒼国来の気持ちの強さは、本当に一筋縄ではなかったと思います。翌日行なわれた横綱審議委員会稽古総見の土俵では、復帰の祝いを込めて、私自ら蒼国来に胸を出そうと思いました。まわし姿、そして力士との稽古自体が久しぶりの蒼国来は、以前のような力士本来の筋肉が備わっているかと言うと、正直、ブランクを感じさせる部分もありました。でも、あえて私は、普通なら(幕内下位なので)稽古相手に指名しない彼を土俵に引き揚げました。

 

荒汐部屋親方は?

日本相撲協会より

師匠:荒汐 栄吉  (主任)

四股名:蒼国来(元前頭二枚目 そうこくらい)

四股名の由来:モンゴル草原の抜けるような蒼い空と中国の国をイメージして7代荒汐が名づける。

本名:エンクー・トプシン  日本名は中国名をそのまま(但し片仮名表記)使用

生年月日:昭和59年1月9日

出身地:モンゴル自治区

生涯戦歴:466勝440敗 49休

所属力士 行司 床山

前頭  若元春 (大波港 おおなみ・みなと)
若元春は大波3兄弟の次男です。

先場所まで4場所関脇の位置を維持してきたのですが11月の九州場所で6勝9敗と負け越したため今年の初場所では東の前頭筆頭まで下がってしまいました。

平幕の力士相手に取りこぼしが結構あったのが原因です。
巻き返しは必至ですのですぐにまた三役に復帰するでしょう。

幕下  若隆景 (大波渥 おおなみ・あつし)
若隆景は東の関脇でしたが令和5年の三月場所で怪我をしました。

手術後3場所連続で休場したため幕下六枚目まで番付が下がったのです。

その後11月の九州場所で5勝2敗とし、令和六年の初場所は西幕下筆頭で快進撃を続けています。来場所は十両復帰が間違いなしです。

荒篤山 (こうとくざん)
大青山
大賀

三段目 丹治(たんじ)
まだ17歳です。現在183センチで120キロですが、
まだまだ大きくなるので将来が楽しみな一人です。

若隆元 (大波 渡 おおなみ・わたる)
大波3兄弟の長男ですがなぜか幕下と三段目あたりにいます。
ちょっと原因がわかりません。

常川 (つねかわ)
大凜山(だいりんざん)
飛騨野(ひだの)
寛龍 (かんりゅう)

序二段 蒼乃駿 (そうのしゅん)
綿谷
廣瀨

序の口 嶋村

幕下行司 式守 一輝

一等床山 床仁

三等床山 床光

 

荒汐部屋のもう一つの主役 モルとムギ

荒汐部屋を支えたもう一つの主役に、九州場所の時に福岡で拾われたという元ノラ猫の「モル」と、荒汐部屋の近くに捨てられていた元捨て猫の「ムギ」の存在があります。

荒汐部屋より モルとムギ

長い間、荒汐部屋の力士やファンと一緒に生活をしてきたモルとムギがお別れしました。

ムギは9月にモルは11月に亡くなりました。寂しいです。

場所の紹介

荒汐部屋の所在地の紹介です。

1月、5月、9月の東京場所は
〒103-0007 東京都中央区日本橋 浜町 2-47-2

3月の大阪場所は
〒560-0021 大阪府豊中市本町7-3-7
豊中稲荷神社内参集殿内 荒汐部屋

7月の名古屋場所は
454-0807愛知県名古屋市中川区愛知町41-19
善行寺内 荒汐部屋宿舎

11月の九州場所は
〒811-2112 福岡県糟屋郡須恵町植木1665
須恵町乙植木地区コミュニティーセンター内 荒汐部屋

の予定です。

地方場所ではぎりぎりまで東京で稽古をしています。
地方場所の宿舎を訪れる際はお目当ての力士がいるかどうか調べてから出かけられるとよいでしょう。

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