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(八角部屋サイトより)
北の若、わんぱく相撲から新入幕への足取り
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yahooニュースより
大相撲の力士になる人の大半が子供のころ、わんぱく相撲に参加しています。
ただ、わんぱく相撲をやっている自治体は少なく、全国で200地区が登録されています。
北の若は山形県の酒田市が主催する酒田市相撲場できたえられ、4年次にわんぱく相撲全国大会で3位、
6年次に全日本小学生相撲優勝大会で2位、
中学校では2年次に全国中学校相撲選手権大会2位、3年次に全国都道府県中学生相撲選手権大会で優勝という成績を残しています。
やはり相撲の魅力に取りつかれたのでしょうか高校は酒田市を離れ埼玉県の栄高校に入学しています。
栄高校のH.Pを見るとおかしなことに相撲のすの字も書いてありません。
なぜかは知りませんが、知る人ぞ知る、相撲の名門校なので、紹介する必要がないのでしょう。そこの相撲部の寮をちょっと紹介します。
琴手計が弁当を食べているところもありますね・・
高校時代は
1年次に高校総体団体準優勝、国体少年の部団体優勝。
2年次に宇佐大会個人優勝。
3年次には高校総体の個人戦で優勝し、高校横綱のタイトルを獲得。
高校総体団体優勝、国体個人・団体優勝、全日本選手権出場。
と輝かしい成績です。
ところが大相撲の世界に入ったとたんに
序二段に2場所以上在位など低迷が続きます。
まさか、幕下に11場所もいるとは思わなかったでしょう。
長かった幕下時代と十両時代
令和二年の一月、東幕下57枚目に上がるとそこでは5勝2敗と勝ち越しました。
次の東幕下34枚目でも同じく5勝2敗でした。
これなら、と思ったのですが・・
西の20,14枚目では4勝3敗とここまでは何とか勝ち越してはきたのですが
9枚目に上がったあたりから、3勝4敗→4勝3敗→3勝4敗→3勝4敗
と低迷するのです。
師匠の八角親方は「高校横綱としてのプライドが邪魔したのだ」「入門から2年間、前に出る押し相撲の重要性を理解しなかった」といいます。
その悪癖も親方や先輩力士から指摘され徐々に直り、やっと幕下三枚目で5勝2敗を上げ十両に昇進しました。
令和4年の1月に新十両となり
二場所続けて勝ち越したのですが、東十両5枚目で五日目を取り終わった後
右大腿(だいたい)屈筋腱(けん)損傷で初土俵以来、初めて休場することになります。
その場所は十二日目から再出場しています。損傷は軽かったようですね。
ここからまた低迷が続くのです。
令和四年の七月場所以来、東十両二枚目になるまで7場所かかり
8場所目で8勝7敗とやっと勝ち越しての新入幕でした。
初土曜が平成31年ですから4年半、将来を嘱望された大型力士としては結構時間がかかりました。
北の富士との関係は?
北の富士の妹夫婦が営む酒田市のちゃんこ屋「北の富士」で中学生の時の出会いが最初でした。
それ以来、交流が続き、八角部屋へ入門することに。
北の富士曰く「ぶつかり稽古しなきゃ駄目。努力すれば普通に三役になれる」と。
中学生時代の北の若と、北の富士さん。
〔新十両紹介 北の若〕 #初場所三日目 #sumo pic.twitter.com/XJWW1ptjrK
— くるくるおばけ@ブログ「大相撲取組内容」 (@kuru2obake) January 11, 2022
若いころの画像を見ると「イケメン」と言われるのもわかりますね。
190cm、146Kと恵まれた体からは将来、きっと幕内上位で活躍することでしょう。
プロフィール
北の若 大輔 (きたのわか だいすけ)
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相撲協会より
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